雑記

主に観劇レポを記載する予定です

20221213 反射した世界の信じかた

舞台『幽霊はここにいる』全公演、本当にお疲れさまでした!

 

圧倒的世界観の構築に加え、撒き散らされる砂とオーラの粒に終始魅了された3時間でした。2022年のラスト観劇がこの作品で良かった~!

 

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※この文章では、2022年12月8日~2023年1月16日まで上演されていた舞台「幽霊はここにいる」の感想や解釈をつらつらと書いています。
 
以下に記載する内容は、ネタバレを含む状態での表記になります。舞台をご覧になっていない方、内容に触れたくない方はどうか、お気を付けください。
 
また書き手は現時点で戯曲(作:安部公房)を拝読しておらず、観劇回数も一度。そのため自己解釈や記憶違いも多く、乱文雑文(約4800字)です。
どうかご了承ください。
 
少しスペースを空けて本文に入ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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2022月12月13日 13:00開演
舞台「幽霊はここにいる」
 
 
 
 
いや、こんなに楽しい作品ある?
この作品で2022観劇納めなの最高すぎるだろ
 
 
「喜劇」の捉え方によって、ひとの価値観によって、ものすごく違う世界が広がっていたんだろうなぁと思う。
まぁ私はお花で人間で、たくさんいる中の幽霊のひとりなんですけど。深川さんの戦友という存在。
 
 
会話の速度や温度に親しみを感じつつも、全体の流れでめちゃくちゃな天変地異が起こるような、いわゆる「劇的」は無い(と感じた)。
だからこそ全てが有りそうで、在りそうで、変だった。
 
私がもしライターだったらこの作品に、劇中に登場したモチーフを使って
 
 
「観るアスピリン
 
 
と名付けると思う。
それくらい登場する人々が魅力的に踊り踊らされた、台風のような祭だった。
 
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舞台は雑踏からゆらりと一人の男が現れ、別の男に出会う場面から始まる。
雑踏から出てきた、深川啓介という男。彼はどうやら、隣にいる誰かと話している。
深川の出会った別の男・大庭三吉は実体のない深川の戦友・「幽霊」に商業的価値を見出し、自らの家に連れていく。
 
 
 
いや、何処から話せば良いのか分からんが、とにかく最初に目を惹いたのは、舞台セットと構造。
舞台上に砂場が置いてある劇は人生で2度目だったが、それが砂場以外としても機能している作品は初めましてだった。
用意された最低限の小道具や家具と、家・屋外・会社etc...を示す最低限の枠組み。中央に落ちる砂の滝と、複数吊られた豆電球。
 
そして――砂を囲むように設置された円形レールと、そこを無尽に回遊するロングカーテン。場面はカーテンを引くことで転換し、小道具が置き換わることで変化が施される。
 
概念的空間+具体的道具のチグハグさを残しつつ、キャラクターを追えば転換に、カーテンを追えばキャラクターの出入りに気づかない。演出がオシャうめぇ
 
 
自分が演劇やってた頃によくやってた戯曲が割と概念的で、こういう演出のもの(セットを組まず少数の要素で構成する)をやってたのでだいぶ懐かしかった。
 
 
冒頭から大庭さんがフルスロットル。人生で一度は生で観たかった八嶋智人さんのお芝居を堪能できる。コミカルにテンポよく、なにより完全に場を支配するのが(役も中の人も)上手すぎる。もはや大庭が主演では?というくらいの独壇場だし、なによりそれが「喜劇」であることをこれでもかと主張してくれる。ありがてぇ。
 
とは言いつつ。
最初の場を観ながらふと恐ろしいことに気づいてしまった。
 
 
 
いや
 
 
おるんよ
 
 
幽霊が
 
 
 
 
大庭さん feat. 深川さん with 幽霊じゃないんよ
その場で会話とやり取りをしてるのが3人なんよ
 
これ観た人は分かるかもしれん感覚なんだけど、つとめて冷静に「3人」を処理しようとするほど、ヤバさが増していく。
 
 
 
だって幽霊役、いないんだぜ?
 
 
 
もう少し言えば、幽霊の存在や背格好、もちろん顔、その全ては深川さんにしか見えないのに。
 
深川さんの相槌、返事、表情だけで観客が「幽霊はここにいる」を自然に受け止めてしまうだけでなく、幽霊のキャラクターまでを想像してしまう
 
 
あらすじで散々幽霊を連れているとは言われていたけど、こんなに3人であることの違和感が無いの、すげぇ…………
 
 
 
 
大庭さんの悪いことへの頭の回転速度が凄まじい
それを善いことに使えばどれだけの人に尊ばれたことか……と思うが、基本的にそうならないから世の中おもしろい。
トムジェリのトムみたいな。愛されるキャラクターだけど、同情はされないというか。
 
 
結局のところ大庭さんの罪に関して明示は無かった(気がする)が、偽名を使ったり家族や周囲に疎まれたりするあたり、本当に噂って恐ろしいこと。後にどんどん大庭が「民衆」に近づいていくことで、残念ながら人間は金のある奴に群がるということを全編にわたり示しているのがニクい。
 
 
ヒカリ電機(大庭の家)の可変性、楽しすぎん?大庭さんのメタい話を含めつつ進んでいく場面転換が心地良すぎる。メタ多すぎると興醒めする人もいる中でバランスがめっちゃちょうどいい。やっぱり八嶋智人さんの経験からくる安心感が凄まじい。
 
お母さんのクセが強くなっていくこと(金に目が眩みそうな片鱗)が最初から雰囲気で見えるの凄すぎるなぁ 
反面、娘さんは終盤まで「それなりの暮らしと自分の幸せ」という軸がずっと維持されていたのが良かった 残念ながらまぁ最後に長いものに巻かれる雰囲気を醸してたんだけど(それも人間)
 
どうしたらこの親にしてこの子????
 
 
 
 
幽霊ビジネス、劇中としての話ではなく、単純に社会に流れている儲け話としてウマイなぁと思った。お金というものに価値が高く置かれた描写の多い世界で、ついつい食いつきたくなっちゃう話。大庭さんだけなら信じなかったかもしれないが、そこに一見好青年の言ってることだけやべー誠実な奴がいたら「まあ一回試すくらいなら……」ってなっちゃう気がする。この矛盾するような感情が両方理解できる気持ち悪さが終始面白かった。
 
 
 
 
戸籍の歌さ……戸籍の歌だったね……(?)
はじまった瞬間からゴリゴリに世界に浸っていたから脳内がボーッとしてきてて。突然覚醒させられたような、催眠術から一回覚めたような。酷い乗り物酔いしたときに、やけにデカい飴玉なめると一気に治ったりするじゃないですか。そんな感じ(伝わらんわ)
今まで誠実で純粋で、でもミステリアスだった青年が突然に美声とキレキレのダンスをお届けされたときに脳内が混乱した。そうだわ、深川を演じてらっしゃる方は神山智洋さんじゃないか。知っていたはずの事実を突きつけられて動揺することは滅多にないだろう。それだけあの砂世界に魅入られてしまったってことか。
 
 
 
これはキャストさんなのか演出の稲葉さんの采配なのか舞台美術スタッフさんか分からないのだけれど
見えるものと見えないものがゴチャゴチャになっていることで、「舞台の上ですよ~フィクションですよ~」という提示よりも「事実は小説より滑稽なり」を投げてくれていて、本当に脳内が心地よく矛盾していくのが楽しくてたまらなかった
 
 
SF小説とか絵本もそうだけれど、それが現実にあり得るかとか、矛盾していないかみたいなものを一旦打ち払ってくれるというか。なんていうか、本当にアスピリンだし麻薬なんだよ、実際に摂った記憶はないけど。
 
 
 
本当は中盤の面白かった場面とか言いたいこととかあったんだけど、この戯曲の恐らく最大の仕掛け・核になる要素が終盤に来たせいで殆ど吹っ飛んでしまった
 
 
 
怒られると思うけれど1個だけ言わせて
 
大庭さんが電飾のついた山車?に乗って出てきたとき、一瞬ネオン装飾を服に施しているように見えて、2幕開始直後で現実との狭間にいたからか某サイバーおかんがちらついた
 
 
ごめんなさい
 
 
 
話を戻します
 
 
この戯曲の最大のトリックというか主人公・深川の秘密が判明したのが、いい意味で劇的でなくて面白かった。「あなた今なんと仰った?」ってなる感じのやつ。
 
 
 
綺麗な身なりの長身男性が、ご自身のことを「深川」と名乗っている。
 
じゃあ私たちの知る深川は? 彼の語る戦争の体験は? そして、彼が連れている「幽霊」は。
 
そのすべてを説明してしまうような言葉。
まさか真・深川からタイトル回収が投げられるなんて。
 
 
 
 
「幽霊はここにいる」
 
 
 
 
真・深川からこのセリフが放たれた瞬間、もし許されたなら、やけに大きな笑い声を上げてしまったかもしれない。
悔しい。唸ってしまったよ本当に
 
旧・深川(改め吉田)が連れていた、おそらく吉田(改め真・深川)の幽霊に対してつけられた題だと思っていたのに。真・深川が自分の存在に対してこういうセリフで返すとは。
 
戯曲にこの台詞があったのかは分からないけれど、もしあったなら、個人的には読まないで劇場に入って良かったなぁと感じた。
 
 
 
吉田が真・深川に対面してからすべてが雪解けしていく過程も素晴らしかったなぁ。なんというかこう、これまた劇的じゃないというか。吉田が事実をゆっくり口に含んで、ゆっくり咀嚼して、ゆっくり飲み込もうとする瞬間の、座席側を含めたすべての存在の意識が吉田に向いたあの瞬間が忘れられない。
 
あの瞬間めちゃくちゃ集中線見えたもんな
 
 
 
やっぱほんとうに幽霊も紛れ込んでいたのでは?
 
 
 
全てが丸くは無いがなんとか収まり、劇としても最終シーンかな、なんて思ってましたよ私は
 
今までの展開見てたらこれで終わるわけないじゃんね……
 
 
 
 
原作戯曲を拝見していないからこんなことが言えるのかもしれないが
本当に最後の場面、どう解釈するか観た人間によって違うんだろうなと思った。
実際一緒に行った友人とも違う見方をしていたので
 
 
 
 
 
個人的に、だけれど。
最後の赤黒いライト、雑に散らばった椅子や小道具、ひとり佇む深川、もとい吉田。
 
なんとなくそれが、吉田を中心にした箱庭療法に見えた。
吉田が作り上げた箱庭世界にも感じられたし、あるいは神のような存在(作者あるいは観客のような第三者)かもしれない。あるいはそれを記録している医者か。
誤解を招きかねない発言になるが、「虚構が崩壊していく」感覚みたいな
 
 
暗転するまで吉田とは一切目が合わなかったけれど、でもめちゃくちゃ睨まれている気がした。
見えなくなる直前の吉田は、何を思っていたんだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
アデューて。
 
カテコ。
八嶋さんと神山さん、段々漫才コンビに見えてきた
 
舞台美術や登場人物の服装がそのままだったからか、カテコなんだけれど作品と繋がっているような気がして不思議な気分だった
 
なんというか、「制約された自由」みたいな?うまい言葉が見つからん。ギエエエエエエエエエ
 
 
 
 
 
 
あとアデューて。かわいすぎか???????神山さん可愛いな???????????????????????????????????????????知ってた
 
 
 
 
 
 
 
全体的に「鏡」がカギになっていたような気がした
金や性格の変化にコロコロ態度を変える滑稽な人々。
あれだけ否定していた人間と結局同じ道へ進む人々。
見える現在地だけを必死に見て、省みることのない人々。
 
そして
真実を把握できないまま幽霊と現実を彷徨い、その幽霊から鏡を差し伸べられた男。
 
 
これはTwitterでも言ったけれど
 
個人的には、観劇後に自分たち観客が幽霊から人間に戻った瞬間が一番気持ち悪くて最高だった 
3時間、ずっと滑稽さや愚かさを覚えた舞台上の(正直に言えばあんな風にはなりたくない)人々と、お前は残念ながら全く同じ存在だぞって言われたみたいで震えた。その意味での鏡もあると思う
 
 
色々考えたけれど、最終的には、作品を通じ生まれた感情のすべてが、巡り巡って「人間って面白いなぁ」に帰結した。
 
 
スタッフの皆さん、キャストの皆さん
 
素敵な祭をありがとう
 
わたしを幽霊にしてくれてありがとう
 
 
 
本当にお疲れさまでした!!